カラダの記憶
私たちがふだん行っている行動の99%は無意識でやっていると言うと「そんなはずはない。」と驚かれるかも知れません。でもそれは、習慣、反応、反射的な行動などにはっきりと表れています。
習慣
朝起きて夜眠るまで、日常生活の行動は習慣に支配されていると言っていいでしょう。布団を畳む、歯を磨く、服を選ぶ、着替える、掃除をする、玄関の扉を閉める、クルマを運転するなど、意識してやっているようで、気がつくと意識しないでやっていることがたくさんあることに気づくと思います。何かをしながら、まったく関係のない他のことを考えていたりしませんか。
家を出てしばらく経ってから「玄関の鍵を締めたっけ?」と思ったりすることがあるのは、忘れているのではなく、そもそも意識していなかったからだと気がつく人がどれだけいるでしょうか。
反応
意思を持った行動は、自分が「こうする」と意図して行います。それに対して、反応というのは、意図に反する思いが起こり、感覚、感情を伴って行う行動です。
常に純真な思いを持って行動している人にとっては、意図しない出来事には度々感情を揺すぶられます。クルマを運転していて、路地から急に飛び出てきたクルマがあると、ブレーキを踏みます。「怖い」という感覚、「嫌だ」という感情が同時に沸き起こります。ブレーキを踏むという行動と、感覚、感情を含めて、これが反応です。
反射
本能に結びついているのが反射です。歩いたり、食べたりすることは、誰もが無意識にやっています。「右足の次は左足だ。」と考えながら歩いている人はいないでしょう。
まばたきをすること、あくびをすること、くしゃみをすること、なにか危険を感じて避けること。スポーツをやっている人は、こうした反射をも有効に活用するために意図して高めることがあります。
意図は努力だと思っている
私たちのカラダは、こんなにも無意識に「自動運転」しているのにも関わらず、私たちは、自分自身が、はっきりした意識を持って常に意図して行動していると思い込んでいます。
そのため、行動した結果が思い通りにいかないと、「努力が足りない」のだと意識に働きかけようとします。「できない」という意識が確実に「できない」現実を作っています。つまり、努力が足りないのではなくて、単にこれまでその行動を無意識でやっていなかったというだけのことなのです。
ここまでの文章について
こうした意識と行動の仕組みは、いろいろな場面で説明することができます。
音楽の場合、意識してできるのは、習慣化できるようになるための一歩手前の部分です。具体的には「どんな練習をするのか」「どんな演奏をするのか」といった組み立てを考えるときには有効です。
また、自己啓発本や、スピリチュアルなどでは、よく「意識を変えれば行動が変わる」と言います。その中で、「無意識」というものが、「潜在意識」「集合意識」などを含めて、なんだか人間の意識の見えない不思議な領域のように扱われています。それは上記の説明で実は不思議でもなんでもないことは理解できると思います。
この記事は、いったん公開はしますが、整理してから、もう少しわかりやすく改めて文章を考えてみてもいいかなと思います。
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