音楽は「勉強」なのか?―技術の先にある「伝える」ということ

あなたは、「音楽」というものをどのように捉えていますか?学校や教室で学ぶもの、あるいはレッスンを受けて一生懸命練習するもの、というイメージを持っている人が多いかもしれません。世の中には音楽大学や専門学校がたくさんあり、そこでは独自の「メソッド(学習方法)」や「法則」が教えられています。そのため、多くの人が「音楽は勉強して、しっかり練習を重ねればできるようになるものだ」と考えています。
確かに、音楽には学問としての側面があります。科学的な視点で見れば、音は「周波数」という物理的な数値で表されますし、心地よいと感じる音の組み合わせには一定のルールが存在します。これまでの歴史の中で、先人たちが積み上げてきた「こうすれば美しく聞こえる」という法則を学ぶことは、音楽を理解する上でとても大切な要素です。ですから、「音楽は学べばできるようになる」という考え方は、決して間違いではありません。
しかし、ここで少し視点を変えてみましょう。私たち人間が生きていくことも、実は「物理現象」の連続です。食べ物を食べて消化し、エネルギーを蓄えて活動する。呼吸をして酸素を取り入れる。これらはすべて、理科の教科書に載っているような物理的、生物学的な仕組みで成り立っています。
けれど、「今日は1分間に何回呼吸をして、何リットルの空気を取り込もう」と計算しながら生きている人はいるでしょうか? おそらく、一人もいないはずです。私たちは物理的な仕組みの中で生きていますが、頭でその数値をコントロールしながら生きているわけではありません。
音楽もこれと同じです。多くの人が音楽を「頭(理論や楽譜など)」で捉えようとしがちですが、大切なのはそこではありません。音楽という「物理的な手段」を使って、「何を、どう伝えたいのか」ということこそが、音楽の本質なのです。
もちろん、楽器を演奏するためには、技術を習得するための訓練が欠かせません。ただがむしゃらに楽器を触っているだけでは、良い演奏はできませんし、最低限の知識も必要です。しかし、外から教わった知識や技術を取り入れるだけでは、それはまだ初歩の段階に過ぎません。その状態では、単なる「上手なマネ」や「正確な再現」で終わってしまいます。
本当の音楽が始まるのは、その先です。「自分はこの演奏を通して何を伝えたいのか」「どんな表現をしたいのか」という強い思い。それこそが、その人だけの「個性」になります。
このことは、文学(小説)に例えるとより分かりやすくなります。
例えば、たくさんの言葉を知っていて、原稿用紙の正しい書き方や、分かりやすい説明の仕方を知っている人がいたとします。では、その知識だけで素晴らしい小説が書けるでしょうか? 確かに、物語の組み立て方(プロット)を知っていれば、ある程度の形の文章は書けるかもしれません。しかし、それだけでは読者の心に深く響く作品にはなりません。
優れた文学作品には、作者がどうしても伝えたいという「思い」や、物語の底に流れている「テーマ」があります。その熱い思いが文章という手段を通して伝わってくるからこそ、私たちはその作品に感動し、何度も読み返したくなるのです。
音楽も全く同じです。楽譜通りに正しく音を出すこと、難しい技術を披露すること。それらはあくまで、自分の思いを伝えるための「手段」にすぎません。大切なのは、その音の中にどのような感情を込め、聴いている人に何を届けたいのかということです。
まとめると、音楽には「学ぶべき法則」や「磨くべき技術」という物理的な側面が確かに存在します。しかし、それはあくまで土台であり、目的ではありません。私たちは、音楽という素晴らしい道具を使って、自分たちの心にある「何か」を誰かに伝えようとしているのです。
みなさんがこれから音楽に触れるとき、あるいは楽器を練習するとき、単なる「勉強」や「作業」として取り組むのではなく、「自分は何を伝えたいかな?」ということを、少しだけ心に留めてみてください。技術の先にある「表現」の楽しさに気づいたとき、音楽はもっと自由で、もっと深いものに変わっていくはずです。
