あたまとからだ
暗譜の話をすると、あたまの中に記憶を詰め込むイメージを持たれることが多い。ぼくの例で言えば、そんなに記憶容量は多くはありません(きっぱり!)。
からだは記憶に頼らない無限の可能性という入れ物です。
たとえば初めて自転車に乗ろうとがんばっていた頃を思い出してください。右足、左足というふうにあたまで考えている間は乗れなかったでしょう。からだが自然に動くようになって、初めて乗れるようになったのではないかと思います。
皆さんは「顕在意識」と「潜在意識」という言葉をご存知でしょうか。「顕在意識」というのは要はあたまの中で考えている「思考」です。あたまというのは記憶をもとに整理をして、指令を出す役割を持っています。それも重要なことですが、生命維持を含めて普段の活動はどうしているのかというと、「潜在意識」がその役割を持っています。すべての行動がこの「潜在意識」で行われているといってもいいでしょう。誰もが心臓を意識的に動かしていないですよね? 意識的に呼吸をしているわけではありません。血液の流れを意識している人はいないでしょう。
ここで「無意識」という言い方もあることに注目してください。これは「思考」によらない、自覚していない感情をもたない行動を言います。「◯◯意識」って言葉、意外と多いですね。「潜在意識」は「無意識」と似ていると思われた方も多いと思いますが、ざっくりと「潜在意識」には「無意識」に、これまでの経験から学んだものがすべて入っているんだって思っていただいていいと思います。たとえば、「思い込み」ですね。
男だから、女だから、お金がないから、日本人だから、鳥取だから・・・。「だから」がつく考えは100%「思い込み」です。それは、現実には存在しないからです。「思い込み」は行動や思考を支配します。この点を語りだすとどんどん脱線していきますので、また別の機会にお話をします。
話をもとに戻しますと、音楽も自転車と同じなのです。あたま(知識、記憶と思考)で固める必要はありません。からだで感じて実践を繰り返すことが大切なのです。「からだ」という無限の可能性は誰もが持っています。そこに委ねましょう。
