音の羅列は念仏に近づく

念仏って、とてもありがたい言葉のはずなのに、どうしてあんなに単調に聞こえるんでしょうか。

それは、聞いただけでは意味がわからない。まるでよく知らない外国語のように聞こえるからではありませんか。

よく知らない、耳にあまり馴染みのない外国語は、何を言っているのかわかりませんし、ずっと同じように聞こえるのかも知れません。

たとえば外国に行って言葉がわからなくても、表情豊かに大げさに伝えると意外と伝わったりします。

何が言いたいのかというと、音楽の話です。単調で表情のない音の羅列は、伝わるものも伝わらないということです。たとえば、ジャジャジャジャーンを繰り返すベートーベンの「運命」を楽譜の通り正確に演奏したとします。それは、もしかしたら、念仏に聞こえるのかも知れません。ちゃんと強弱やリズムに意味があって、その意味を理解して演奏して初めて聴衆に音楽の表情が伝わってきます。

ぼくはよく楽譜を地図にたとえますが、地図の上には、人の呼吸や生活は描かれてはいません。地図や楽譜の上にも記号で表された情報だけしか記すことしかできません。

音楽の場合には、歌詞という手がかりがある場合があります。作曲者が解説を楽譜に書き込むこともあります。その意味を理解するには、歌を歌うのが近道です。歌詞がむずかしければ、ドレミでもハミングでも構いません。ぜひ、歌ってみましょう。

さあ、今決断の時。あなたは念仏を目指しますか。それとも音楽を通じてハートを伝えますか。


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