音楽をやっているぼくが言うのもなんなんだけど
ぼくは今でも、音が苦手です。絶えず耳に入ってくる、ぼくにとって意味のない音の洪水は、生まれてずっと、ちょっとした拷問を受け続けているのと変わりません。どんなに耳をふさいでも、音は常にあちらこちらから押し寄せてきます。本当に、今もです。
小さい頃は、音から逃げられる場所、屋根の上、縁の下、裏庭、山をさまよう時間が生き返る時間でした。
自然の中では、意味のない音はありません。風が吹き、木々がそよぐ。鳥が鳴き、犬が吠える。
実際、中学校に入学するまで、テレビから無理やり聞かされる演歌や歌謡曲のほかは、まともに音楽を聞いたことがありません。特にピアノの音は、頭の中がぐにゃぐにゃになるような気がして嫌いでした。
ああ。唐突だけど、ぼくは今では音楽の先生をしています。だから言うんじゃないけど、幼少期の英才教育って意味ないんだよってことは言いたい。実際、それが必要な人以外には意味がないんだよ。ぼくはどちらかといえば、12歳まで音楽を避けてきたんだから。
12歳から少しずつ知識を得ることで、音楽は楽しめるようになってきました。ピアノは、ちゃんと調律したらきれいに響くこと、もともと音痴な楽器だから、それを許せる耳で聞けばいいんだってことで、だんだんと好きになりました。ギターも何度音合わせをしても狂ったように聞こえていやでした。だいたいみんなぐちゃぐちゃな音で音楽をやってるってわかって、ちょっとずつ慣れていった感じでした。
音のうなりや倍音1に対しても、敏感でした。クラリネットを吹くと、ひとつの音の中にいくつもの透明な音が聞こえます。ごく最近人に教えるようになって「その聞こえてくる透明な音に合わせるように、次の音を吹きましょう。」というと、生徒さんには「その透明な音」がわかりません。ぼくは、「ああ、そうか。ほとんどの人には透明な音は聞こえないんだな。」ということがわかりました。
じゃあぼくに特別な耳があって、特別な才能があるのかというと、それもわかりません。突発性難聴になってみたり、耳鼻科で調べてみると、そんなによく聞こえる耳でもないような結果が出ます。
でも、こんなふうに聞こえ方に今も悩んでいる人もいるんじゃないかなって思います。それはそれで正常だし、だいじょうぶだよってことは伝えたいな。音楽以外にも活かせるかも知れないよって。
- 倍音:音に含まれる高次周波数成分のこと。倍音については改めて、解説します。 ↩︎
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